2021-04-02 第204回国会 衆議院 議院運営委員会 第22号
加藤官房長官が入省された当時もそうであったのではないかと存じますが、私が入省しました昭和五十二年には、運輸省のコピー機はまだ湿式のものや青焼きと呼ばれるものが残っておりまして、ワードプロセッサーもパソコンも存在しておりませんでした。国会答弁も手書きで清書しておりまして、現在のように簡単に何部でもコピーできるという状況ではありませんでした。
加藤官房長官が入省された当時もそうであったのではないかと存じますが、私が入省しました昭和五十二年には、運輸省のコピー機はまだ湿式のものや青焼きと呼ばれるものが残っておりまして、ワードプロセッサーもパソコンも存在しておりませんでした。国会答弁も手書きで清書しておりまして、現在のように簡単に何部でもコピーできるという状況ではありませんでした。
個人的に個人情報といいますと、かつて私、職場におりましたときに、金の相場だとか米の相場だとか、株だとかゴルフ会員権だとか、そういう電話がしょっちゅう掛かってきて、何でおれに掛かってくるのかと、そういう不愉快な思いをしたこととか、かつて、役所の関係でいきますと、戸籍抄本を取るために田舎の役場へ行って、青焼きでほとんど字が読めないような抄本に町長の印だけが何か妙に赤い色だけが目立っているかなとか、その程度
もう一度、これは道路局長ではないのかもしらぬけれども、そこら辺建設省も、橋を守るために欄干をつくらせない、人が何人も亡くなっていながらも欄干はつくってはだめなのですという古い、多分昔の、青焼きしたかガリで切ったかは知らないけれども、そういう基準を後生大事にしているという時代ではないと思うのですが、そこら辺ちょっと、河川局長、お願いします。
三田工業は、今の社長の先代の御夫妻が青焼きから始められて苦労されたというのは、私どもの町ではある意味で誇りに思う会社だ。それが公認会計士、監査法人を巻き込んでというか、同級生という話も聞いておりますが、での粉飾決算というふうなことで、今は公認会計士のある立場というのが非常に問われております。
今はゼロックスといいますか、光学式のコピー機械がございますが、昔は青焼きだったと思うんですね。そうすると何年になるんでしょうか、戦前から青焼きはありますから、もう五十年以上にわたって、実は枚数なんだけれども件数とずっと言ってきたということなんでしょうか。そういう理解でいいでしょうか。
ここから安川電機のある設計部門に派遣している例では、製図の青焼きの業務が派遣労働者によって行われ、一般事務をやっていた女子パート労働者が安川ビジネススタッフが設立されると同時にそちらの所属とされて、今度は派遣労働者として同じ仕事を続けています。
機械の設計そのものに携わる人もいれば、基本的な設計を作図する人、実際の工作のための施工図をかく人、それから製図の青焼きを専ら行う人、それらの人々の中で補助的な事務を行う人というふうに際限なく対象業務の範囲が広がって、どこまでが対象業務なのかということが判然としなくなるわけなんです。現在指定されている十六業種についてどこまでが対象業務なのかという、正しい範囲をどうやって示されているのでしょうか。
今は戸籍の原本があって、それを青焼きかなんかして出てくるわけですから戸籍の原本そのままのものが出てくるわけですけれども、今度はコンピューター化されますとそうじゃなくなるわけですから、謄本とか抄本とかは言えなくてこれは証明書ですか、先ほどもちょっと出ましたけれども、証明書として取り扱われるということになってしまうわけですね。
事務機器の内容においても、かつては青焼きを使っていた登記所とPPCを使っていた登記所とが別にあったわけで、そういうような場合でも、それによって、住民の受けるサービスいかんによって差を設けるというようなことはしていなかった。
ところが民間になって今日約一年たとうとしておるのですが、職場へ行ってみますと何と白い紙ではございませんで今青焼きにかわっていますよ、かつての青焼きに。液につけて出てくるというものです。あれは紙一枚とっても経費が安いものですから、みんな事務経費を節減をするということなんだと思いますが、そういう格好でみんなそういう方法で取り組んでいる、頑張っているということなんですね。
例えば、地図も物すごいのがありまして、百何十点あるんですけれども、これは青焼きのためでしょうね、こういうトレーシングペーパーで地図がありますよ。これ、ソ連、中国、北朝鮮の全部地図があって、陸海空軍部隊の配置図が赤できっちり書かれてあります。このほかにレーダー基地その他の地図もあります。この地図も皆さん方にお配りした資料の三にコピーを載せてあります。
それに関連をいたしまして、謄写の機械、アンモニアの問題が出たわけでありますが、アンモニアを使用したいわゆる青焼き機につきましては、先ほどの弁護士さんの書かれた論文にも御指摘になっておりましたように、性能が悪いと言いましましょうか、読みづらいというような面もございますし、これを取り扱っております職員の健康管理の上からも問題があるということで、一日も早く白焼き機に切りかえるということで計画をし、計画を実行
部落の情報等を得易いが、反面、物事を腹にしまっておけない人であるので社内情報がつつぬけとなるおそれがある」 こういう人物の評価からプライバシーにわたる問題、「酒ぐせがわるい」とかそういうことまで丹念に調査して、これを青焼きにして配っているのです。その一部が私どもの手元に入ったわけです。経路は申しません。
お手元に青焼きのリコピーの資料があると思うのですが、倉敷、水島地区における公害関連疾患調査というのがあると思います。これをごらんになりますと、昭和三十五年コンビナートが始まる前からぜんそく患者の急上昇ぶりがよくわかると思います。
このため——お手元に青焼きの「積雪の深さ」という図を差し上げてございますが、これをちょっと見ていただきます。これはきのうの九時現在におきます型でございます。北海道を見ていただきますと、二メートル——二〇〇と書いてありますがセンチ単位です。これが昨日九時の積雪の状況。これのあとに、いわゆる最近の大豪雪といわれました三十八年一月の図が出ております。
お手元に青焼きが参っておりますが、概況を簡単に申し上げますと、規模は六・一程度のものであります。日本といたしましては昭和三十九年六月十六日の新潟地震以後のことでございます。 先ほどの総務副長官のお話しのように、かなりの被害を伴いましたが、非常に浅いものでございますので、震源の付近だけにかなりの被害が出ましたほかは、それほどの被害はございませんでした。
お手元に青焼きの資料をお配りしてございますが、それをごらんいただきますとわかりますように、この大雪は二月の一日から四日まで、日本海側、東北地方、北陸地方に相当の雪を降らせ、それから二月の十五日、十六日、これは先ほど来御説明がありましたように台湾坊主による大雪でありまして、主として日本列島の太平洋側に異常な雪を降らせたわけでございます。
青焼きでちょっとごらんになりにくいかと思いますが、一部持ってきておりますが、いかがいたしますか。
○木村説明員 お手元に資料がお配りしてございますが、青焼きのこういう地図をごらん願いたいと思います。 現在、人間に感じます地震の起こっている地域は、かすり模様を入れた地域でありまして、大体われわれが第二期と呼んでおります三月、四月の活動域は、若穂町、松代町の付近でありましたが、それが南に下がってきております。
お手元に青焼きのプリントがお配りしてあるかと存じますが、それをごらんいただきまして、それに基づきながら説明をいたしたいと思います。 一枚めくりまして、二ページでございますが、ことしの六月六日午前三時、日本海南部に前線を伴った低気圧、千七ミリバールがあらわれまして、日本海沿岸に沿って、弱まりながら毎時三十五キロの速度で北東の方向に進行いたしました。
お手元にお配りしてございます資料に「原子力平和利用国際会議について」という青焼きがあると存じますが、それをごらんいただければありがたいと思います。 そこにございますように、第一回は一九五五年の八月八日から二十日まで約二週間にわたって開かれたわけでございますが、このときには各国から二千七百六十名の多数の出席を見たわけであります。
○庄野政府委員 ただいま青焼きにしておりまして、もうすぐ参ると思います。